森本さんと行くまちあるき

 ― 第一回阿倍野散策 ―

 第一回目の街歩き、阿倍野編です。初回ということもあってか、参加者は少な目で、森本さん、瀬戸さん、青砥さん、菅、古川の5名でした。今回は、南港通より北側、あべの筋より西側を中心に歩きました.
1.阿倍王子神社安倍晴明神社

阿倍王子神社本殿
 森本さんが幼少の頃、阿倍王子神社へは、年に一回夏まつりの時ぐらいしか遊びにはいかなかったそうですが、その夏まつりの時は、夜店がたくさん出るので楽しみにしていたそうです。パチンコ(今、大人が遊んでいるもの)や、「のぞきカラクリ」という、凸レンズのついた竹筒の覗き穴からペラペラまんがを覗くようなものの夜店があったようで、テレビの無い時代、とても新鮮だったそうです。当時、あべの筋を挟んで目の前の王子本通商店街は、遠方よりバスに乗って買物をしに来る客がいるほど大変賑わっていて、商店街へはよく来ていたとおっしゃっていました。
 現在の社は比較的新しくて、森本さんが忙しくバリバリ働いているうちに、いつの間にか建て変わっていたそうです。以前の社のほうが、境内の保存樹の風格にふさわしい雰囲気をもっていたとおっしゃっていました。

 
知名度がある割には、境内は思いのほか狭い
 安倍晴明神社は、陰明師・安倍晴明により一躍有名になり、観光客が増えました。創設は室町時代ですが、地元への密着度では阿倍王子神社のほうがやや上を行っているような感じでしょうか。
 ちなみに、このあたりは明治初期頃、家は65軒ほどしかなかったそうで、水の便が非常に悪く、嫁が苦労する事から「あべの村には嫁やるな」ということばもあったそうです。



3.熊野街道石碑

熊野街道沿いにあった大きな長屋 阿倍野保名郵便局前にあった石碑

 聖地熊野へと続く熊野街道ですが、森本さんによると、10年ぐらい前までは、写真左のような古い建物がまだ結構残っていたそうです。行く度に風景が変わっているような感じだとおっしゃっていました。今は、阿倍王子神社、安倍晴明神社の近辺にわずかに面影を残す程度のようです。



4.馬車鉄道

阪堺電車の東天下茶屋駅のホーム奥にある小さな石碑と、説明をする森本さん
馬車鉄道のイラスト(阿倍野区50年のあゆみ/阿倍野区役所発行 より)
 現在はチンチン電車で親しまれている阪堺上町線ですが、その昔、馬車鉄道なるものがこの軌道上を走っていたそうです。作られたのは明治33年で、当然森本さんは乗ったことは無いそうですが、戦時中、できるだけ多くの人を乗せるためにシートを取払ったつり革だけのチンチン電車の話をしてくださいました。
 開設当時の区間は、四天王寺西門〜東天下茶屋。当時、東天下茶屋には遊園地があったそうで、それで路線がひかれたのではないかとおっしゃっていました。
 もともとは、JR天王寺駅の西正面の橋の上に阪堺上町線の天王寺駅があり、その名残で現在の近鉄あべの橋駅西に移動しても、天王寺駅という名が残っているそうです。



5.晴明丘相生公園


今回の街歩きでみつけた公園


 この辺りは、上町台地の西側に位置し、起伏が激しく宅地の開発が遅れるほどで、区内でも10数メートルの高低差があるそうです。
 森本さんによれば、この公園は上記の天下茶屋遊園地の敷地の一部ではないかとのことです。公園自体は近年つくられたようですが、昔の地形の面影がみてとれます。



6.阿部野神社 


正面の鳥居へと歩く森本さんと菅

阿部野神社本殿


 阿部野神社は、明治15年に、明治天皇の勅命でつくられた神社で比較的新しい神社になります。祀られている北畠顕家と足利軍の高師直(こうのもろなお)が戦った古戦場に位置していますが、古くは雑木林だったのではないかと森本さんはいいます。
 ちなみに、社は第二次世界大戦で一度焼け落ちており、昭和43年に再建されたものだそうです。



 やはり実際に歩いてみてしか気づかない事というのはたくさんありますね。”あるき”の速度で見える風景は、そこに住んでいる人たちにとってはあたりまえの日常の風景に他なりません。とすれば、”あるき”の視点は、「住まいゆにっと」の看板を掲げているASSUの会が、忘れてはいけない視点だろうと思います。

 第1回目のまちあるきは、阿倍野区西側でした。次回以降は、アップする内容も充実させていきたいと思います。


 森本先生、ご協力ありがとうございました。

まちあるきレポート 

:取材協力    森本成毅
:文責       古川